家庭日報

どこにでも あるような 家族 の 風景

夫婦 関係 の 終わり そして あらたな 二人の 関係 の スタート

夫婦関係の終わり

 

2018年5月1日 18年目の結婚記念日

 

妻が話しをしたいと二人ドライブに出かけることにした。

妻の選曲リストの音楽が流れるなか重苦しい空気が立ち込める車内。空気を良くしようとどうでもよい話をしてみたが、会話になっていない。

 

田んぼに苗が植えられたばかりな景色に妻の不思議な見解に笑いが生まれることもなく、そろそろ家へと折り返そうかとしていた。

すると妻が話しを切り出してきた、「本気で離婚のことを考えてくれないかな。」

初耳ではないので、驚きはしなかったがそんな空気のなか二人だけのこの空間にいつもとは違う感覚を覚えた。

そしてぼくは「わかった、その方向で考えていこうか。」と返事をした。

 

涙がとまらない。

 

 

 

 

 すれ違いからのストレス

結婚14年目くらい

妻が起きるよりも早く出勤し、妻が寝るころに帰宅するような毎日のなか、二人の時間を作ろうと遅くまで起きてくれていた妻の気持ちに気づかず、家庭のためと思い毎日仕事に明け暮れていました。

そんななか妻の頭に円形脱毛ができてしまい、妻が傷ついていることがとても辛いことでしたが、ぼくは普通にしていようとつとめました。円形脱毛症はストレスが主な原因だということでした。

ぼくはなんとかしたいと、妻の考え方を変えれば楽になるのではと思ったり、ぼくの妻との関わり方を変えればよいのではと、いろいろな本を読んだりしてみました。

しかし、妻はそんなことを望んでいなかったらしく、ぼくは自分のできることがわからなく苛立ってしまい、妻と衝突してしまいました。助けたい気持ちとは裏腹に妻を傷つけ続けてしまっていたのです。

 

進む症状

妻の脱毛は日に日にひどくなり髪の毛にとどまらず、まつ毛やまゆ毛 全身の毛という毛が抜けていった。妻は女性としての自分に自身がなくなり、感情の起伏も激しくなっていきました。妻自身やぼくを傷つけるような発言も増え、さらに衝突することが多くなり、ぼくは妻とどう関わっていけば良いかわからなくなっていました。

病院では免疫の異常も考えられると、いろいろと検査をしなければならなかった。検査結果によっては命にかかわる病気も候補にあがっていたので、2人共落ち着かない日々をすごしていました。検査結果は免疫の異常は認められたものの、現段階では脱毛でとどまり回復もするだろうとのことで一安心することができました。

妻が仕事を休み、望む治療が受けれるようにとお金のめどを立てたりなど、ぼくのできることはすぐに行動できたのですが、相変わらず妻の望んでいることはわからないままでした。目の前にいる妻が雲をつかむような存在に感じるような日々がつづき、妻の心が悲鳴をあげていることは手に取るようにわかるのに、ぼくにできることは全くわからず苛立ちもピークをむかえていました。

 

抱えてきた膿

妻との夜の生活も長い夫婦生活で折り合いがつかない状況の中、妻は脱毛症になり女性としての自分に自身はなくなり自分を攻めていました。

ぼくとしては性欲があることもありますが、そんな状況の妻でも女性として受け入れていることを伝えたくて夜の関係を求めました。しかし、妻はそんな状態ではなく「風俗でも浮気でもなんでもしてくれたら、いい。」と、ぼくに言い放ちました。

そして、今の妻にそういうことを求めてはいけなのだと頭では理解できたのですが、自分の欲求と状況がぶつかり自分の中で消化できず、妻が風俗にいけといったからではありませんが、人生ではじめて風俗に足を運びました。誰かにわかってもらえるとは思いませんが、ほんとうにアタマがおかしくなりそうな状況でした。

 

裏切り

そして、二人で話をしているときに妻から「風俗にいってるんじゃないの?」と聞かれ、ぼくは絶対に言わないと決めていたのですが、その状況に耐えきれなかったのか「うん。」と行ったことを認めてしまいました。

その時は、妻も明るくどんな感じだったなのかと興味を示しているかのような話でしたが。翌日、離婚をしてほしいと話をもちかけてきました。ひたすら、どうにもできなかったということしかできませんでした。

 浮気をしたら即離婚という約束を破ったとして、完全にぼくに対しての信用がなくなり、裏切られたと深い傷をおわせてしまいました。あつかましいですが、ぼくのことが好きでなくても一緒にいることができるなら、惚れ直させるチャンスがほしいとお願いをしカタチとしては夫婦生活を継続させることになりました。

 

見た目だけの夫婦

妻の髪の毛も見た目には生えそろい、生活も見た目にはもとに戻ったかのようになりましたが、それからも急に人間が変わるわけはなく幾度となく衝突をしてきました。妻は、やはりぼくに裏切られて傷ついたということは許すことはできずに、離婚というキーワードはアタマから離れずに結婚記念日に話を持ちかけたようです。

実際に親権や、家と車は妻が使い、しばらくは家のシェアというカタチをとるという話をして事実上離婚したような状況でした。

 

あらたな二人の関係のスタート

離婚を承諾したのも望んでいるのではなく、妻にとってそのほうがよいのであればとの選択だったと説明をし、可能であれば一緒にいてほしいと今も一日一日一緒にいることを更新しているようなカタチをとっています。

ぼくのことは人間としては嫌いになったわけではないようですが、夫として父親としては全く信用はなく、期待もされていないようです。

 

今は「夫」だから〇〇しなくてはいけない、「妻」だから〇〇だということではなく、それぞれの人格を尊重しあえるような関係づくりを始めるスタートラインに立っています。